まーしー工房

思ったことをTwitterの延長として書きます

音楽歴その①

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9月半ばにタグが回ってきたのでこんなの書いた。

楽器初めて10年以上経つので、始めた当初のことを思い出して懐かしくなった。

これをもとに詳細を書いていきます。

 

15歳で親父に電子ドラムを買ってもらったのが全ての始まり。ここから僕は音楽を始めた。

音楽に没頭する前は、物心ついたときから親父の影響でずっとクルマが好きで、

家ではレーシングゲームかプラモデル作りに没頭していた。

自分が好きなモノにはとことん追求するし、学校で何が流行ってようが何も関係なかった。

学校の同級生は当時、遊戯王ポケモン、デュエマの話で盛り上がってたけど、何にも関心なくて話の輪には入らず当たり障りのない話だけして、学校から帰ればすぐプラモデルの続きを作るような中学生だった。

漫画は基本読まないけど頭文字Dだけは大好きで全巻集めてた。

大人になったら絶対S15シルビアかR32スカイライン乗って峠走りに行くぞーという「走り屋予備軍」そのもの。

親父も日産のディーラー勤めで、家のガレージで70年代のスポーツカーを修理して乗ってたからそれを見て、大人までクルマを追い続けると思っていた。

 

中2の後半のある日二人で出かけてたら親父がふと「京都でビートルズコピーバンドがライブするから一緒に行かへんかー」と言い出した。

親父はビートルズ浜田省吾が好きでよく一緒に車内で聞いてたので誘われるがままついていった。京都大丸百貨店の何階だったか。

 

そこで初めて生バンドの演奏を聴いて音のデカさにびびる。今思えば「稲妻が走る」とはまさにこのこと。

その後はあまり覚えてないけど、二人で盛り上がって「ドラムやってみるか」という話になって親父が電子ドラムを買ったんだと思う。

最初は「二人で」練習する予定だったと思う。ただ仕事が忙しいのであまり長続きはしなかった。

その一方で、どんどんのめり込んでいく僕。

 

それまで楽器といえば吹奏楽部の演奏でしか見たことくらいしかなかったのに、

聴く音楽はドラムばっか聞こえるようになって、

そこからドラムってすげーおもしれーーーーーって夢中になりだした。

ただ、ずっとやってた訳ではなく、最初3ヶ月くらいはそれまでのプラモデルやレースゲームもやりながらだったので

趣味がいっこ増えたくらいの認識だった。

でも気付いたらドラムしかやらなくなってプラモは完成品以外全部箱にしまった。

その時練習したのはビートルズBUMP OF CHICKEN浜田省吾。簡単なとこから入ってよかったなと思う。

 

その時学校では当然バンドの話なんか出ず音楽の話といえばEXILE、嵐、関ジャニとかしかないので

それこそ楽器やる人なんて吹奏楽部くらい。

 

ただ、一人だけいた。不登校気味でほとんど顔見たことなかったけど、

彼は不登校とかクラスに馴染めない人が通う別の教室によくいて、たまにそこでギター弾いてたので会いに行った。

すぐ仲良くなった。スピッツくるりが好きらしい。

よくウチに遊びにきてもらって電子ドラムをスピーカーで鳴らしてギターとセッションした。

その人からいろいろCD借りてLed ZeppelinとXJAPAN、くるりスーパーカーとか知った。

文化祭出たいなって話になって一応出ることはできたものの、

二人とも超人見知りなのでバンドに誘えず…そもそも楽器やってる人がおらず…

なんとかボーカルできる人一人いたのでボーカル+ギター+電子ドラムだけで出場できたものの、

転換に時間かかってタイテ押して先生に怒られ寒いステージに…

 

そのギター友達とやる分には楽しかったけど、

それ以外に音楽友達はいないので結局ずっと家で一人ドラムだけやっていた。元々友達つくるの苦手だし…

文化祭の失敗あたりから次第にドラムにも飽きてきた。一人だけでこれやっててもなぁ…

 

でも音楽はすっかり大好きだったのでもっとやりたいな、と思ってた時、

親父のアコースティックギターが物置にあったので、ギター友達にチューニングとか教えてもらったりして弾き始めた。

弾けもしないのに親父は浜田省吾のギタースコアを持ってたし、姉もなぜかBUMPのスコア集を持ってた。

一番最初は浜田省吾の「光と影の季節」のイントロ。オープンGが鳴っただけでめっちゃ気持ちよかった。

あとはベンチャーズビートルズ、BUMP。

弾いてたら、それを見かねた親父はヤフオクでアンプとセットで7千円のアリアプロⅡの中古エレキをポチってきた。

そっからはほぼエレキばっか弾いてる。

 

高校に上がってからも家でずっと弾いてた。

でも軽音学部などあるはずもなく、友達作りは苦手なので当然楽器仲間はいない。

中学時代からバレーボール部だったので高校も引き続きバレーやって真面目に通ってた。

 

ある日1年生で最初に仲良くなった人が家に遊びにきて俺のエレキを見て「俺もやってみよっかな」と言い出す。「ギターって6弦から(開放弦で)順にドレミなんやろ?」っていう知識しかなかったけど。それが唯一の楽器仲間になった。

 

僕は部活やってたから親の小遣いだけで機材揃えてやりくりしていた。

ところがその友達はバイトをしてたので次々と機材を買っていく。嫉妬するレベルで。

最初はPhotogenicのストラトセットだったのがIbanezに変わりベースも買い、エフェクターもどんどん。

姑息な手ではあるけど、そのうち

「新しいギター買ったん!?ええなぁそれ〜。あっそういや最初に買った安いやつってこれからも使う?使わんなら金払うし譲ってよ!」

を何回かやって安くでギターやエフェクター譲ってもらった。(俺はギター教えてたからイーブンだと思ってる←)

 

そこで高校2年生になるかならないかのあたりで譲ってもらいベースも弾き始める。

ベースという楽器自体の存在は知ってたけど、どんな音なのかどんな弾き方なのかは

よくわからなかった。でも触り始めたらすぐ聴く音楽からベースが聞こえるようになった。

それからは、学校終わり19時くらいまで部活やって、家帰って晩飯食ったら自室に戻ってギターを弾くかベースを弾くか、物置の端っこの電子ドラムを叩くかの生活になった。

 

高校2年の後半か3年の始めごろだったか、親父が「知り合いがドラム譲ってくれるらしいけどいるか?」と言ってくる。

…え、ええの?戸惑ったけど親父がいいなら…と生ドラムを入手する。

(電子ドラムから入ったので電子に対して本物のドラムセットは「生ドラム」と呼んでた)

 

高校1年のとき、中学のギター友達と都会の方にあるスタジオに1時間かけて行ったことがある。

ドラムはじめて1年半後くらい。初めて叩いた時音デカすぎて本当にびびった。耳潰れるんじゃないかってくらい。

その印象があったから、家で鳴らしていいのか不安だったけど、実際叩いても苦情来なかった。

その頃にはすっかり学校と部活以外の時間は基本楽器を触っていた。

 

ギター初めて1年くらいのとき、ふと「コレってどんな仕組みで音鳴るんやろ?」って

裏のフタを空けてみた。あー部品がいっぱい。おもしろい。

元クルマ好きとしてエンジンの写真眺めるのとか大好きだった者として、

ギターの内部もクルマのエンジンみたいで面白い。

本で読んでたら「あーピックアップってのがエンジンみたいなもんで、電気が流れて音になるのか〜〜」みたいに知識が深まる。

都会の大きい楽器屋に行ったら楽器本体と別に部品が売ってる。

へぇーこれ部品変えれるんやー変えたらどうなるんかな、と好奇心が湧いてきて、

最初はノブを変えるだけだったのがいつしかコンデンサー変えてみたりピックアップまで変え始める。うわー音変わったーおもしれー。

クルマいじりしてた親父のいる家で工具が潤沢にあったのが幸いしてすぐ何でも改造できた。この辺から改造マンになる。

さらに、プラモデル作ってた時期のスプレー缶もまだ残ってたので、試しにピックガードを赤く塗ってみた。

めっちゃかっこいい。最初から、穴空けるのも色塗るのも何の抵抗もなかった。

ドラムに関しても、楽器屋に売ってたヘッド買って自分でヘッド交換したら音の変化に感動して、チューニングとかもネットで調べながら感覚で身につけた。

 

高校3年の後半、すでにドラムもベースもギターもそれなりの技量になってた時、文化祭シーズンになる。

楽器はわりと自信があった所だったので、唯一のギター仲間とバンドやりたいという話をするが、

コミュ障なので仲間を増やせず。

別の学科にドラマーとベーシストがいると噂では聞いてたけど、

そこに踏み込んでバンド一緒にやろうぜの一言も言えず、結局下級生の寒いダンスを指くわえて眺めて文化祭は終了…

マルチになった理由として、「田舎なのでバンド人口が少なかった」とたまに人に話すけど、一応いたのはいた。

実際のところはコミュ障過ぎて一緒にやれなかった。

 

 

でも高校時代に一応、バンドというもの自体は経験できた。

当時やってたmixiで出会った同い年のベーシストがいてバンドに誘われる。

メンバーは4人で都会の方にある島村楽器のスタジオに集まってコピーした。

そこで初めてコピーしたのがラルクHONEYとDriver's High。

音出すだけでほんまに楽しかったけど、コピーしたらその先どうすんのかは知らなかった。

ライブってどうするんやろ。スタジオに集まって音出すだけでそのバンドは終了。大学進んでからは自然消滅。

 

 

大学に進むとちゃんとバンドできなかった悔しさで軽音部に入る。

でもこの部はパートはひとつしか選べないという固定式だった。

抵抗はあったけどそれでもバンドしたい一心で入部する。

前述の通り当時ドラムでmixi仲間とバンドやってたのでベースにした。一番歴浅かったし。

でもその部はベースだけやけに多く、常に俺が余った。

まだ人見知りなので誘って貰えず孤立。コミュ力あってウェイウェイしてればいろいろ出来たんだろうけど、

当時は技量が足りないんだと思ってたからめちゃくちゃ練習した。

基礎連メニューは完璧にこなせるまでやったし、メンバーに入れてほしくていっぱい曲もコピーしたし

個性だそうとしてやたら改造したベース持参したりした。でも参加できたバンドは少なかった。

いわゆる「コミュ障で楽器オタクな痛いやつ」な感じ。髪も茶髪で伸ばしてたし。

結局2年のときに辞めるけど、その部の練習過程で耳コピをマスターした。

スコアにない曲もよくコピーするので誰よりも早く覚えてやろうと工夫して耳コピしまくった。

(元々ドラムは耳コピだったからやりやすかった)次第にギターも音取れるようになって

そのあたりからスコアあんまり使わなくても弾けるようになった。

 

良い思い出ではないけど得られたものはたくさんあって、

耳コピスキルであったり上手い人の演奏見たりした収穫が多かった。

 

特に、4つ上の先輩にすごい人がいた。

小柄でやせ型なんだけどメタラーのドラマーで叩き方はYOSHIKIそのもの。

超上手いしバスドラも高速。それだけじゃない、ギターもベースも弾ける。

たまに企画ライブでギター弾いた時は普通に速弾きしてた。

めっちゃマルチやん…。さらに衝撃なのが、エフェクター作るらしい。

 

「えっ…エフェクターって作れるの…?」

よく見たらギターパートの先輩の足下にロゴのないエフェクターがあって「これあいつの自作やで」って見せられる。

一番ギター上手い先輩が「音作りに関してはあいつに任しとけばええくらいや」って言ってた。

。oO(なにそれ…くっそかっこええやん…。)

強面だしビビってまともに話せなかったから、すぐに家のPCでエフェクター自作について調べて、ネットで注文して自分も作ってみることにした。

最初はブースターとOD-1だった。作ってみたらちゃんと鳴るし使える。

一番驚いたのが制作費だった。普通エフェクターといえばBOSSみたいに7千円くらいするのに、4千円くらいしかかかってない。

こんな安くて使えるなら自作がいいやん!と思ってそっからいっぱい作った。

 

一番憧れの先輩は恐れ多くて一番話せなかったけど、

後から思えば自分と似たタイプだったのかもしれない。

その時期から5年以上経った今、マルチで機材作りながらやってる自分の姿が、

その先輩のと同じように見られるようになってるのであれば本当に嬉しいなと思う。

もっかい会って話してみたいけど連絡先知らないし話したところで「あっそう」って言われるだけだと思う。

 

あとは同学年のドラムパートにピエール中野好きなくっそ上手い奴がいて、そいつからスティック回しを吸収したり、

タムを超低くセットする変態ドラマーとかもいた。いろんな先輩のギターとエフェクターの音も聴けた。

部室で先輩が盛り上がってる話とか、先輩がコピーしてるのを見てメタルとラウド系を聴くようになった。特にSlipknotCrossfaith、ラスベガス、SiMあたり。

ただラウド系ばっかという訳ではなくて、中学時代から引き続いて聴いてるBUMPから派生して邦ロックロキノン系も引き続いて聴いている。

くるりスーパーカーを引き続いて聴いてたら、同年代にナンバーガールというバンドがあるのを知る。

当時Youtubeが国内のユーザも増えてたのでライブ映像があった。映像見てからナンバガにどはまりした。

ある日は朝からSlipknot聴いてテンション上げて、その次の日はくるりで落ち着いて、

次の日はナンバガでしみじみ聴き惚れて、また次の日SiMでテンション上げる、

みたいな音楽の聴き方してた。

 

好きな音楽は増えていくけど、軽音部内では相変わらず孤立しがち。

別の音楽サークルの方が気の合う友達が増えちゃったりしてた。

そんな中、mixiである同い年の男からバンドに誘われる。ドラム叩いて欲しいと。

しかもオリジナルでやるよと。一回スタジオで会ってみたらライブハウスのスタッフやってるらしい。

ライブハウスへの憧れはあったのでそのバンドに加入することにした。

それが人生初のオリジナルバンド。活動はじめて半年くらいで軽音部は辞めた。

 

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そろそろ長くなってきたので一旦この辺で次の記事へ続きます。