まーしー工房

思ったことをTwitterの延長として書きます

音楽歴その②

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前回の続き。

 

大学の軽音部を辞めて本格的にやりだした人生初のオリジナルバンド。

ギターは7弦、ベースは5弦でローBをズクズク鳴らす、いかつい音楽性をヴィジュアル系寄りな女性が歌うラウドバンドをやってた。

本音を言えばずっと聴いてたBUMPとかPillowsみたいなオルタナバンドやりたかったけど、

ようやくまともに組めたバンドだ。バンド活動そのものが全部憧れてたことでリーダーの言われるがまま何でもやった。

大学軽音でSiMとか好きだったのでラウド系のドラマー憧れて、特にCrossfaithのtatsuさんをかなり研究した。

箱の店長に「ドラムは目立たないからもっと激しくやんないと」って言われたからとにかく派手にデカく叩くことしか考えてなかった。

その箱はヴィジュアルとかメタル中心で正直好みの音楽性のイベント少なかったけど

とにかくバンドしたかったからずっとそこにいた。気付いたら1年に28本以上もそこでライブしてた。

 

楽しいけど同じ場所で同じバンドやるのも飽きてきたな…と思ってたさなか、対バンで仲良くなったメンツに誘われ、

2年続けたラウドバンドをやめてガチのビジュアルバンドのサポートドラムになった。

もっと激しいスクリーモやりたかった所で楽しかったし大阪まで遠征できたし

人生初めてメイクした。その後半年くらいやってサポート終了。

 

その後、別のメンツに誘われて今度は歌モノロキノン系バンドのドラムに参加、

途中でベースが抜けてドラムが見つかりベースに移った。

大学軽音以来初めてドラム以外でちゃんとバンドした。大阪MUSE、江坂MUSE、岐阜antsとか出れた。ボーカルの脱退でバンドは空中分解。

あとは最初に出まくってた箱でよく対バンした先輩とhideとかSiMとかいろいろコピバンした。

 

ちゃんとした活動と並行して、一番仲良いベースの友達とたまにネタバンド組んだのがあって、これが一番気楽で楽しかった。

地元のスーパーの歌をラウドにアレンジしたりラジオ体操とかとにかくブレイクダウンするとか。

東京行ってからもこのネタバンドのために帰省することも何度か。

 

大学生のときはほとんどラウドかロキノン系しか聴いてなかったけど、

あるとき姉が当時の彼氏からいっぱい借りてきたCDがあって、テナーとかドロス(当時はシャンペ)、WHITEASHとかの中にSHANKが入ってた。

最初のメロコアの印象はなんかずっと速いしよくわかんねーと思ってあんま聴いてなかったけど、

いつぞやのライブ時に県外からオリジナルのメロコアバンドが遠征に来て、ライブ見たら「なにこれメロコア超かっこええ…」ってなった。

そっからラウドからメロコアに好みが移る。

 

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ギリギリの単位で大学卒業して県内の印刷会社に就職。

実家から1時間半かかるから会社の近くで一人暮らしを開始。

勤めながらしばらくしてken yokoyama好きな友達とBBQ CHICKENSっぽいハードコアパンクバンドをドラムで始めた。

 

丁度メロコア好きになってた所だったし楽しかった。

でも社会人1年目は色々仕事が上手く出来ずに不安定になるもの。イライラを抱えたまま好き勝手にやってたらメンバーにガチ切れされクビになった。

 

丁度いいタイミングで大学時代の友達が社会人バレーサークルに誘ってくれて、バレーばっかりするようになった。

セッション会みたいにその日集まったメンバーで紅白戦するだけのサークルだし気遣わなくていいから気楽だった。

しばらくしたら一番仲良いネタバンドの友達に誘われて復帰。

インフルかかったドラマーの代役を後輩に頼まれてKANA-BOONを1日で4曲覚えてライブ出たりした。

あーやっぱバンドも楽しいなーって思ってた中、

中学が一緒だった1個下の後輩に誘ってもらいポップなバンドにドラムでサポート参加。このバンドが地元でやったバンドの中で一番有意義だった。

俺がサポート参加したことで確固になった音楽性が今でも続いていて、

京都の方ではそこそこ名前が知れてきてるみたい。

よかったら「シーシュタッツ」ってバンドを応援してあげてね。(滋賀出身だけど拠点は京都)

 

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社会人2年目になる春、会社都合で東京へ異動。

方向性が定まってこれからって時のポップスバンドのサポートは終了、

仲良くなりたてのバレー仲間やバンド仲間と別れて大学の友達1人しかいない東京へ引っ越し。

とりあえず、なんかバンドに加入して友達つくるかー。と思ってメンバー募集サイトを眺めてたら、セッション会の記事を見つけた。

大学時代にも何度か、mixiのコミュニティで40代50代に混じってビートルズとかZEPのセッション会に行ったことはあったから、

セッションいいかも、と思って参加してみた。

これが「邦ロックセッション」。まだ3回目とかで12〜14人くらいしかいなかった気がするけど、

エルレアジカン、BUMPとか前からバンドでやりたかった曲がいっぱいできたし、

シガラミも何もない良い意味でのんびりした仲間に会えて本当に安心した。

そこから邦ロックセッションは最近まで(一時期2度休んだのを除いて)ほぼ全部参加。

 

上京したての時にバレーサークルも探してみて行ってみたけど、だいぶレベル高かったし仕事終わりに間に合わなかったので結局行かなかった。それからバレーはしてない。

 

これまで地元でやってたバンドはドラムが大半で、ギターベースは上京前1年間でちょいちょい出たくらいだったけど、

セッション会では1日に複数パートできるので、まんべんなく3つとも練習するようになった。

何度もセッション会で複数パートやってるうち、ますますマルチさに拍車がかかる。

 

秋頃にふとメン募サイトで誘われてハイスタ大好きの野郎(金髪でKENさん教な感じ)とメロコアバンドを始めた。

オリジナル曲をいっぱい持っててわりと多い頻度でスタジオ集まってたけど結局ライブ出たのは1度だけ。方向性の違いで自然消滅。

セッション会だけで存分楽しかったのでバンドはほぼやらなかった。

 

上京して1年経つくらいの頃に楽器屋へ転職。業務内容はコールセンター業務。

薄給だけど残業はほぼなし。平日休みで時間がたくさんできた。

転職前の家が社宅だったから引っ越しを余儀なくされ、家賃安い足立区に引っ越し。

引っ越し先の近所に中古楽器屋があってパーツが安く入手できたので、大学時代ぶりにギターの改造やら機材作りに没頭。

2年間で3、4本竿作ってエフェクターは6〜7個かな。

あと、持ってるPCにGaragebandがあることに気付いて、御茶ノ水でインターフェースとちっちゃいMIDIキーボードを買った。キーボードはドラムの打ち込み用。

作曲できないからほとんど使わなかったけど。

 

あるとき邦ロックセッションのコピバンイベントがあって、9mmとフォーリミをやろうとしてた時期、

近くのスタジオに一人でギター持って個人練習入ったら「そのギターおもろいっすね!」って声かけてきた若い奴とメロディックハードコアバンドをリードギターで始める。

オリジナルはこれまで上手くいったことが少なかったのでだいぶ抵抗あったけど、

カッコイイリフを作る奴で、ウチに遊びに来ては宅録してたらいつしかだいぶ良い曲作れてた。

越谷EASYGOINGS、立川BABEL中心にゴリゴリのハードコアで9mm滝さん意識して暴れて弾きまくったり

しょっちゅうギター回ししてパフォーマンスしてた。この時期、3回目から毎回参加の邦ロックセッションを初めて欠席。

ただ、ドラムが要ギャラのサポートというのもあり払う出費が多すぎ、お金がなくなって脱退。

オリジナルはやっぱ難しい。

 

音楽中心の生活では収入が増えない…そう思って大きめの派遣会社で営業に転職。

土日休みに戻ったので、仕事しながらセッション会の頻度を増やす。

転職後最初に行ったのはヘイスミセッションで、ここで大作戦界隈の人と関係ができ、

前の年に1度だけ参加して以来行けてなかった京都大作戦セッションに参加して仲間増えた。

ロキノン系は邦ロックセッションで、メロコア系は大作戦セッションで、てな棲み分けを自分で持つくらいになった。

8月にはDYL、12月にはロキノンセッションへも足を伸ばした。

 

転職活動するちょい前、地元でネタバンドをやってた友達が短期間上京して、いろいろあってウチにしばらく居候する時期があった。

その時、持ち物の中に49鍵のMIDIキーボードがあって借りて少しずつ弾くようになった。

しばらくして彼は地元に戻りキーボがなくなったので近所の楽器屋で自分のキーボを買い、邦ロックセッションで実験的に演奏はした。

今は触る頻度がないのでほとんど触ってないけど。機会ができたらまた練習すると思う。

 

大作戦セッションのホーン隊のお姉さん方からトランペットがいない話をされる。

難しい仕事のおかげでチャレンジ欲が高まってた俺は夏前にトランペットを買う。

これが予想以上に難しかった。11月のセッションで吹けるかと思ったけど全然練習に身が入らなかった。

結局ドレミ吹いただけで友達に貸す。

 

10月頃、派遣の営業やってて体調崩しがちになり退職。

転職までの空白期間があるので、余らせてたボディとネックでギター作りを再開した。

 

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一番最初に楽器始めたのが中学2年の後半、確か2007年頃だったから、まる12年くらい経つ。

「なんでそんなにマルチなの?」と聞かれる質問に対していつも、

「いや〜友達いなかったんで笑」と答えてるのはその①に記載のとおりで

極度の人見知りだったのと、楽しそうなことにすぐ飛びつく性格だからだと思う。

 

「高校時代、友達とバンド組んでアジカンコピーで文化祭でた」「大学時代軽音サークルで飲みまくった」いろんな人が経験するこういうの、いっこも経験できなかった。

 

音楽の入り口として「友達とバンドしようって誘われて、いないからってベースやらされたのがキッカケで…」とかたまに聞くけど、

自分は通れなかった入り口だからこれが本当に羨ましかった。

 

少し前まで、「中学高校でちゃんとしたバンドで文化祭出たかったな、あのとき今みたいなコミュ力があればなぁ…」というタラレバはずーっと心に残り続けてた。

 

どうにかして人前で演奏したい。カッコイイって言われたい。

 

姉弟の末っ子で家族で一番下だからいろいろあって自信が持てずコミュ障、でもそんななか唯一人に自慢できるのが楽器だったから、

楽器がかっこよく弾ければ褒められるんじゃないかと、その思いで常に弾いてた。

 

ようやくバンドできても好きじゃない音楽だったり、何かが常に足りなくて、満足できなくて躍起になって個性だそうといろいろ試した。

セッション会に出会ってやっと好きな音楽を演奏できるようになったら純粋に楽しめるようになってきて、

夢中で何曲もコピーするようになった。

 

いま、こうしてドラムもベースもギターもそれなりに技量があって、

機材もそこそこ知識があって自作改造をするようになったのは一気に出来上がったものではなくて、

どれか一つに没頭する時間をそれぞれ短い周期で切り替えていたからのような気がする。

とりあえず目の前の楽しそうなことに飛びついていたら

いつの間にかいろいろ出来るようになってたような。

でもその動機の中には寂しさもあって、

前述のように誰かに認めてほしい欲に動かされて、みたいなのは大きかったと思う。

 

最近セッション会でいろんな人に褒めてもらえるようになって、ようやくちょっと落ち着いてきた。

 

いろいろあったし寂しかったし悔しいこともいっぱいあったけど、ここにきてやっと報われた。

中学高校時代友達いなくてもよかったな、大学時代悔しいバンド経験してきてよかったな、

全部良い経験だったなって思えるようになってきた。

 

褒められることは継続して嬉しいので、これからも目の前の楽しい音楽どんどん飛びついていろいろ演奏して、たくさん機材作って楽しんでいきたいなと思う。